【「あの日」の絵】明親小5年1組の震災(2)台所がメチャクチャになった(産経新聞)

 ■人とのつながり実感

 「今もこれと全く同じ家に住んでますよ」

 震災発生後、11歳だった自分が描いた絵を見て、大西利江さん(26)は開口一番、うれしそうに笑った。

 神戸市兵庫区にある祖父が建てた材木店兼住宅の木造2階建ての家は半壊。2つの食器棚が部屋の中心に向かって倒れ、食卓を真ん中にして支え合ったが、中の食器や食料品は部屋中に散らばった。

 幸い、家族全員けがはなく、石油ストーブの上には前夜母がいつものように作りすぎたおでんが大量に残っていた。姉がアルバイトしていた隣のすし店の貯水槽の水が使えた。

 マンション住まいの友人は「絶対つぶれてる」と様子を見に来てくれたが、「マンションは揺れが怖い」と言ってそのままとどまり、結局は2つの家族が「今にも倒れそうな家」に身を寄せることに。

 「めっちゃ怖かった」余震も、「あっ、来た!!」とおどけてみせる男の子の姿に、逆に安心した。学校が近いため、毎日通って避難所の配給などを手伝った。

 1週間後、父の友人が遠方からタンクローリーにドラム缶を積んでやってきた。店の商品の材木を燃やしてドラム缶で湯を沸かし、身も心も温まる風呂が完成、近所の人にも開放した。家族が入るころにはすっかりぬるくなっていたが、「お父さんってすごい頼もしい」と心から思った。

 行政から支援が受けられるのに、父は頑として家を建て替えなかった。だが、その古い家が、生まれ育った町が、やっぱり大好きだ。大阪の大学に進学しても、2時間かけて通学した。就職先には、大手自動車メーカーの神戸市内での営業職を選択。今も「半壊」認定の自宅から通う。

 「震災で、人とのつながりってすごい大事やな、と思いました。お父さんのために遠くから人が来てくれて、お父さんもみんなのためにプレハブ建ててあげたりして。助け合うから、みんなで生きていけるんやなって」

 食品の賞味期限が切れてもなかなか捨てない母の癖さえ、震災では役に立った。「物はやっぱり捨てたらあかんなあ」と開き直る母を、「明るいお母さんでよかった」と、あれ以来頼もしくさえ思っている。台所に散乱した一つ一つのあらゆる物が大切で、みんなの役に立ったことは、今も忘れない。

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